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はじめに

2019年07月19日
 「自分の家を守りたい」
 
 それが、全ての始まりだ。
 
 住み慣れた家、愛着のある家、それもあるけど。
 
 一番は、現実の危機が目の前にあるから。
 
 ありえないことが起こって。
 
 それが悪いほうへどんどん転がって。
 
 気が付いたら、家族はばらばら、自分はひとり。
 
 家には住めても、ギリギリの状態。
 
 ・・・なぜこうなった?
 
 考えれば考えるほど憂鬱になる。
 
 助けを求めても、誰も助けてくれない。
 
 法律でさえ。
 
 そんな時、はたと思い立った。
 
 ブログ。
 
 これが最初で最後のチャンスになるだろう。
 
 筆者の体験と思いを、これから綴っていく。
 
 少しでも社会が共鳴してくれれば、と願う。  
Posted by くろねこ  at 04:12家を守る

この家

2019年07月19日
 筆者の家について。
 
 今の場所にある筆者の家は、実は移築してきたものだ。
 
 おそらく築100年くらいにはなる、飛騨の伝統的な古民家。
 
 山奥の集落から移して、建てた。
 
 父親と母親が結婚してすぐのことで、その時はまだ長男も生まれていなかった。
 
 ちなみに自分は、三男だ。
 
 男ばかりの兄弟の、三番目で、末っ子。
 
 今の場所なら小学校も、役場も、徒歩圏内だから助かる。
 
 車があれば、高山への行き来も苦になるわけではない。
 
 家が元々あった山奥と比べれば、何もかもが大違いだ。
 
 特に冬場は、雪下ろしの回数が少なくて済む。
 
 豪雪地帯のその集落から出ることは、まさしくうちの悲願だったはずだ。
 
 その悲願を成し遂げたのは、既に他界したうちの祖父。
 
 祖父の深慮と尊い努力があって、我が家は今ここにあるのだと思う。
 
 聡明な祖父に、感謝。  
Posted by くろねこ  at 04:12家を守る

うちの暮らし

2019年07月19日
 うちは農家だ。
 
 誰が何と言っても、農家だ。
 
 前述したように自分は末っ子だから、農家としてのうちしか知らない。
 
 最初は祖父母とも健在で、家族7人の時代がわりと続いていた。
 
 農業を本格的にやりだしたのは父親だから、歴史はそう深くない。
 
 だが指導農業士だったから、地元の農業への貢献は大きかったはずだ。
 
 祖父母と父親が亡くなって、家族がばらばらになった今でも、その矜持は胸にある。
 
 自分自身もそうだが、特に母親に。
 
 なぜか母親は、数年前に家を出て、高山のアパートで暮らしている。
 
 今の家に一人で残った自分とは家計を共有する関係だが、別居は別居だ。
 
 それなのによく家へ帰ってきて、借りた畑で野菜作りをする。
 
 種から苗を育てる、お馴染みのやり方。
 
 お母さんは、うちの暮らしを忘れていない。
 
 いや、忘れることはできないんだ。
 
 そう、確信する。
 
 だからこそ余計、この家を守りたい気持ちが強くなる。  
Posted by くろねこ  at 04:13家を守る

甘い意識

2019年07月19日
 筆者には、取り立てて目標なんてなかった。
 
 自分が将来どうやって生きて、どうやって死ぬのか、あまり考えていなかった。
 
 だから筆者は、高校を卒業したらすぐ、名古屋へ行った。
 
 それを実現させてくれたのは、祖父が兄弟それぞれに渡してくれた100万円だ。
 
 当時の自分は健康だったこともあり、その重みに全く気付いていなかった。
 
 名古屋で筆者は、アルバイト生活をしていた。
 
 正社員でも仕事にあぶれるような不況に打ち負かされて飛騨へ帰ったのは、27歳の秋。
 
 確かに大きな出来事だったけど、うちの手伝いをすれば良かったから、気は楽だった。
 
 それから2年後の平成17年夏、それは起こった。
 
 山の畑へ出かけていた父親が、トラクターの下敷きになって死んだ。
 
 あわただしく葬式をやって、相続やらなんやら面倒なものがいっぱい押し寄せてきて。
 
 気が付くと三男の筆者が、土地やあらゆるうちの財産を貰い受ける立場になっていた。
 
 また筆者も、その立場に見合うように生活を変えた。
 
 それでもまだ、筆者の意識は甘かったのだと思う。
 
 その後、筆者に降りかかる難題のことなど、当時は想像さえしなかった。  
Posted by くろねこ  at 04:13家を守る

父親の死

2019年07月19日
 平成17年、8月18日。
 
 仏様になった彼は、大勢の警察の人たちに運ばれて慌ただしく帰ってきた。
 
 まだ事故だと断定できない段階では、それが家族であっても同じ質問を繰り返す。
 
 そんな警察の儀礼的なお仕事がやかましすぎて、肝心の彼の顔を確かめたのは、何時間も経った後のことだ。
 
 彼の遺体は、仏間に安置されていた。
 
 とても静かに。
 
 筆者が、白い布をめくって顔を確かめる。
 
 間違いなく、父親だ。
 
 事故と聞いたが目立った外傷はなく、今にも動きそうなのに微動だにしないのが、不思議。
 
 そっと白い布を戻した。
 
 彼はその後、警察や親族の手によってひたすらモノ的に扱われた。
 
 腐りやすい真夏だから防腐剤がどうの・・・とか、どうでもい会話を強烈に記憶している。
 
 通夜と葬儀は、地元の寺でやった。
 
 突然の死だったのに誰も泣く人はいなかった。
 
 お母さんでさえ、泣かなかった。
 
 もちろん、筆者も。
 
 死んでくれてせいせいする。
 
 それが、偽りざる素直な気持ちだ。
 
 享年64。
 
 自分が生まれ育った山奥の畑で死んだのだから、ある意味、幸せな人生だったのかもしれない。
 
 だけど、そんな単純なものではないな、と最近思うようになった。 
 
 どんな人物であっても、親は親。
 
 血の繋がりを消し去ることはできない。
 
 年々、筆者も彼の面影に近付いた気がしてならない。
 
 複雑な気持ち。
 
  
Posted by くろねこ  at 04:14家を守る

彼  

2019年07月19日
 父親の農業は独特だった。
 
 ほとんど、彼のワンマン。
 
 とにかく彼の決めたことを、家族が黙ってやる。
 
 若い頃はそれでうまくいっていたが、祖父母、つまり彼の両親を亡くしてからは、明らかに精彩を欠いた。
 
 酒に溺れ、食事のたびに愚痴や不満をぶちまけた。 
 
 それは家中どこにいても聞こえてきて、彼が眠らない限り、大声による言葉の暴風は吹きやまなかった。
 
 毎日のように接していたから、分かる。
 
 彼はアル中だった。
 
 その日も彼は、仕事前に安酒で舌を濡らし、夢心地のままトラクターに乗り込んだのだろう。
 
 そして彼は、帰らぬ人となった。
 
 機械いじりの趣味があった彼の死後には、鉄屑の山と借金が残った。
 
 しかも、肝心のものを切らしていて、保険金を手にすることはできなかった。
 
 なんという、身勝手な死に方。
 
 祖父の残してくれた土地は手付かずだったけど、管理がいい加減すぎて、後が大変だった。
 
 それは、彼の功績だったはずの農業においても同じで。
 
 一応は筆者が跡を継ぐ形にはなったものの、彼のやり方を再現するのは無理だった。
 
 うちの礎を築いてくれた祖父とは、実に対照的。
 
 良いものは何も残さなかった。
 
 それが、彼。

 
 
   
Posted by くろねこ  at 04:14家を守る

病気

2019年07月19日
 父親が亡くなった時、筆者は29歳だった。
 
 その後30代の前半で、糖尿病を患った。
 
 現在までの10年で入院2回、手術1回、通院はほぼ毎月。
 
 膵臓が涸れ果てているため、インスリン注射が欠かせない。
 
 途中で、町の病院から地元の診療所に治療を移した。
 
 そこで主治医を変えたのはよかったが、肝心の血糖値は下がらない。
 
 根治が期待できないだけに、厄介な病気だ。
 
 直接的には、この病気が筆者の人生を狂わせた。
 
 一度は始めた農業を断念することになった主たる原因は、まさにこれだと思う。
 
 見た目は五体満足に見えるだろうが、実際には小さな異常が頻発する、筆者の肉体。
 
 正直言って、長持ちするとは思えない。
 
 独身だから、その点は気が軽い。
 
 ただ、母親が高齢なのを考えれば、時間的な余裕はない。
 
 焦る。
 
 ものすごく罪な十字架を背負ってしまったものだ。
   
Posted by くろねこ  at 04:16家を守る

危機感

2019年07月19日
 人が死ぬと、悲しみに暮れる間もなくやってくるのが、相続。
 
 うちの場合は、父親の財産を筆者か全てもらい受けた。
 
 家、車、土地、借金・・・本当に全て。
 
 通夜の時にその話があって、まず長男が相続を拒否したことで流れが決まった。
 
 東京に住む長男は帰る気がないと分かっていた。
 
 次男は家にいたが、引きこもり状態で最初から対象にならなかった。
 
 もちろん、本来なら母親の順位が一番だから母親に、という選択肢も現実的なものだった。
 
 母親が相続すればまとまりがつくのかな、とは思う。
 
 筆者は実家で同居できるし、一緒に農業もできる。
 
 でもそれは一時的な安定であって、生涯を保障するものでないことに、筆者は気付いていた。
 
 すでに地元では知られているから公表するが、長男は元オウム信者で、家族が強制的に脱退させた。

 何かを信仰する気持ちは本人にしか分からないわけで。
 
 元オウムなんて肩書は、家族にとってもまずい。
 
 それに、おそらく相続のことは何も理解していないだろう。
 
 その点は次男も同じで、引きこもった狭い室内にしか関心を向けていない印象があった。
 
 自分も含め、兄弟全員が未だに独身で家庭を持っていない。
 
 危機感を持つのは当然だと思う。
 
 だけど、家庭内のそんな問題はどこにでもあるわけで。
 
 本当に特殊で放置できない問題は、家庭の外にあった。
 
 その問題に向き合う覚悟があるのは、おそらく筆者だけだろう。
 
 年少者でありながら、そうぼんやり考えていたら、その予感は当たってしまった。
 
 最悪の形で。  
Posted by くろねこ  at 04:17家を守る

一番の難題 

2019年07月19日
 実は我が家は、借地の上にある。
 
 47年くらい前に地元の地主と賃借の契約を結んだ。
 
 今まで地代を滞納したことはなく、最初から目立った契約違反があるわけでもない。
 
 それなのに、相手の地主は、こちらからの話し合いの申し出を全て拒否した。
 
 それどころか。
 
 父親が亡くなった年の暮れには、うちへ怒鳴り込んできて、恫喝まがいのことまでやった。
 
 地主の彼はその場で、貸した土地の返還を促した。
 
 はっきり言って、ありえない。
 
 同じように借地に家を建てて暮らしている方なら、共鳴できるだろう。
 
 地主が土地の返還に一言でも触れるなら、借主は必ず動揺する。
 
 よほどの話でない限り、軽々に口にしてはいけない言葉のはずだ。
 
 もちろん、それを言って許される状況があったわけではない。
 
 例えその状況があったとしても、こちらに敬意を払わない不遜な態度を許していいはずがない。
 
 そして、その言葉を口にするなら、終わりへ向けての話し合いを開始するのが筋、というものだろう。
 
 だが、彼ははっきりと土地の返還に触れながら、今でも平気で地代を受け取り続けている。
 
 うちと話し合いをする意思など、微塵も感じられない。
 
 彼がどういう意図だったのかは分からない。
 
 ただ現実に、また彼が怒鳴り込んでくるのでは、という強い恐怖が芽生えた。
 
 普通に暮らしていたら体験することのないその恐怖心が、やがて家族を壊すことになる。
 
 以前から借地の事実は聞き及んでいたが、まさかこんな非常識な男が相手だとは思わなかった。
 
 間違いなくこれが、うちで一番の難題だ。
 
 筆者のみならず、祖父や父親もこの件で苦しめられていたと思うと、ぞっとする。
 
 相手には、良心も良識もないらしい。
   
Posted by くろねこ  at 04:17家を守る

相手の地主

2019年07月19日
 ここで、分かっている相手の情報を。
 
 このブログでは、便宜的にT氏とする。
 
 T氏の家は丹生川の中心地にある。
 
 表向きはホウレンソウ栽培をしているが、不動産所得だけでも暮らせるはずだ。
 
 支所や農協などに土地の一部を貸している、地主だから。
 
 T氏は、うちの他にも個人に土地を貸しているところが、何軒かあるらしい。
 
 それらも含めて、ほぼ全てを、T氏の親である先代が貸し付けた。
 
 その先代が急死したため、息子であるT氏が相続した。
 
 うちの場合も、同じ構図だ。
 
 先代が契約者で、T氏が話し合いに応じないため、額面以外はそのままになっている。
 
 同じ農業者ではあっても、作物が違うため、昔からうちとの交流はあまりなかった。
 
 T氏は、筆者より10歳くらい年上ではないか、と思う。
 
 例の怒鳴り込み事件以外にも数回彼と接触する機会があったが、その全ての接触で、不愉快な思いをした。
 
 こんな非常識な大人は、初めてだ。  
Posted by くろねこ  at 04:18家を守る