甘い意識

2019年07月19日
 筆者には、取り立てて目標なんてなかった。
 
 自分が将来どうやって生きて、どうやって死ぬのか、あまり考えていなかった。
 
 だから筆者は、高校を卒業したらすぐ、名古屋へ行った。
 
 それを実現させてくれたのは、祖父が兄弟それぞれに渡してくれた100万円だ。
 
 当時の自分は健康だったこともあり、その重みに全く気付いていなかった。
 
 名古屋で筆者は、アルバイト生活をしていた。
 
 正社員でも仕事にあぶれるような不況に打ち負かされて飛騨へ帰ったのは、27歳の秋。
 
 確かに大きな出来事だったけど、うちの手伝いをすれば良かったから、気は楽だった。
 
 それから2年後の平成17年夏、それは起こった。
 
 山の畑へ出かけていた父親が、トラクターの下敷きになって死んだ。
 
 あわただしく葬式をやって、相続やらなんやら面倒なものがいっぱい押し寄せてきて。
 
 気が付くと三男の筆者が、土地やあらゆるうちの財産を貰い受ける立場になっていた。
 
 また筆者も、その立場に見合うように生活を変えた。
 
 それでもまだ、筆者の意識は甘かったのだと思う。
 
 その後、筆者に降りかかる難題のことなど、当時は想像さえしなかった。
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Posted by くろねこ  at 04:13 │家を守る