これまで記事をたくさん書いてきたけど。
大事なことが抜けていた。
それは、他の、一般的なケースについて。
土地を借りて、そこに家を建てて暮らすケースは、別に珍しいものではない。
ある時期に流行って、すたれた。
我が家が最初に契約を結んだのが、その流行の最中だった。
戦後の高度成長期。
経済発展と共に増える住宅ニーズに応えるため、ある意味、やむを得なかった面はある。
こういう住み方しかできない人は、一定数いる。
その事実はあるにせよ、実際には、強引なやり方で借りさせられたケースも少なくなかっただろう。
現代より、はるかに地主の力が強い時代。
まだまだ人権意識が希薄だった時代。
弱い者が一戸建てを持つには、少しくらいの我慢も、処世術の一つだった。
が、それはもう今は昔。
様々な失敗やトラブルの積み重ねによって、そんな借り方、貸し方をする人は激減した。
早い話、旨味がないから。
税金の面では安いように見えるが、立ち合いとか相談、苦情、督促など、意外と仕事が多い。
もちろん、長期に渡って土地が返ってこないことにも不安がある。
経済成長によって、物価や土地の値段が急速に高騰したから、余計だった。
個人の家なんかより、もっといい儲け話があったのに・・・
みたいな事例があっても、簡単に土地を返してもらえるわけがなく。
悔しい思いをすることは、多々あっただろう。
こんな感じだから、本人が亡くなった時点で見直しが行われるのは、必然。
貸主、借主、双方が膝を交えて話し合い、今後どうするかを決めなくてはいけない。
これが、大変。
想像力が互いに欠如していた契約時とは、なにもかも違う。
突き付けられるのは、全て実体験に基づくリアルだ。
もはや誤魔化しは通用しない。
見直しが行われれば、契約解消なんてざらだろう。
少なくとも、以前と同じ条件を維持できるとは考えにくい。
そうなる要因は様々だが、これだけは言える。
土地貸しをするに当たって、決定的に知識と想像力が欠けている。
ただ、その場所に土地を持っていただけ。
それだけで土地を貸して、地代を手にすることができる。
地主の特権、という奴だ。
残念ながら日本は、そんな無意味な価値観に縛られた社会。
これだけ技術が発達した現代でも、基底に潜む人々の意識は変わっていないと見たほうがいい。
だから、あの時代が特殊だったわけではない。
自然に生まれて、増えて、やがて減少していっただけ。
多くの例が、その潮流に乗ったものだと考えられる。
うちの場合も、同じだった。
だが、最初から対話に応じない姿勢のところは、さすがに少ないはずだ。
いくら強引な地主がいても、一代で終わりにするのが普通。
双方で当事者が亡くなっても見直しができないなんて、完全に異常事態だ。
一般的なケースを考えると、余計それが鮮明になる。