不可能の証明

くろねこ

2019年11月19日 15:34

  前の記事で書いたように。
 
 我が家は、元々田んぼだった土地を宅地に変えて、山奥から移してきた。

 これは、極めて稀なケースだ。
 
 当時は、農業に対して期待の高かった時代。
 
 都会ならともかく、農村に余る農地などなかった。
 
 だから、農地転用は現代とは比べられないほど厳しかったはずで。
 
 その中にあって、うちが審査を通ったことは驚嘆に値する。
 
 古い話なので、細かいことは分からないが、これは事実だ。
 
 祖父が申請した記録の紙が残っている。

 契約書と一緒に保管されていて、最初はさほど気に留めてはいなかった。
 
 宅地への変更手続きを、うちが行ったことが分かるだけ。
 
 その程度にしか考えていなかった。
 
 ところが、とんでもない。
 
 実際には、うちでなければ出来ないことだった。
 
 地権者である相手、先代では無理。
 
 不可能。
 
 本来なら地目変更は、地権者のやるべきこと。
 
 それも、自分のために。
 
 赤の他人である借主に代行させると、どうなるか。
 
 実は、典型例がうち。
 
 宅地造成をうちの負担でやって、暗渠も入れたし、石垣も作った。
 
 契約時の交渉では、地代を値切ることもできた。
 
 全て、必然だ。
 
 その有様は、土地を購入した場合とほぼ変わらない。
 
 うちが、購入ではなく、賃貸という形で折れた、決定的な理由であろう。
 
 これで分かるように、土地の所有者が地目変更をしないと、大変なことになる。
 
 だから、そこを他人にやらせることは、まずなく。
 
 ほぼ全ての地権者が、自らの手でその手続きを行っているはずだ。
 
 もちろん費用負担はあるが、そこは投資と考える。
 
 いくら強引な土地貸しをやったとしても、地目を違えるわけにはいくまい。
 
 最低限、そこは体裁を整える。
 
 余分なトラブルを生まないためにも、大事なことだ。
 
 それらを踏まえて。
 
 最初の話し合いの中で、当然、この件は問題になっていただろう。
 
 うちからも指摘したし、相手にも伝わった。
 
 自分の手で農地転用ができないと判明した時点で、普通なら、立ち止まるだろう。
 
 うちは購入を希望していたから、売却に舵を切るか、話そのものを無かったことにするか。
 
 その二択しかないはずなのに、実際は貸し付けを選んだ。
 
 非常に、愚か。
 
 先代の頭の中には、短絡的なお金の計算しかなかったのではないか。
 
 その証拠に、一年目の支払いから何か文句を言ってきた形跡がある。
 
 おそらく、その時に、交渉で負けた分を取り戻した気でいたのだろう。
 
 相手の本性が露呈した瞬間。
 
 うちにとっては、抜け出せない底なし沼にはまった気分だっただろう。
 
 最初からそうつもりだったとしか、思えない。
 
 それなら、地目を巡る問題なんて何も関係ない。
 
 むしろ、農地を解除してくれてありがとう、という気持ちだったかもしれない。

 農地以外には使えない田より、汎用性のある宅地として保持する方が有益。
 
 そんな考えしかなかったのが、相手の一番の失敗だろう。
 
 目先のことだけで強引に事を進めた結果、大事なものを見落とした。
 
 土地を貸すために必要な体裁を整えていない。
 
 それだけなら、まだ言い訳もできるけど。
 
 本当は貸すことのできない土地を貸してしまった。
 
 もちろん、事前準備などできるわけがない。
 
 それらを証明する、動かぬ証拠がある。
 
 類似の案件があっても、ほとんどの人が辿り着けなかった領域だ。
 
 証明の難しいものを証明できるのは、大きな力になる。
 
 契約が結ばれたのは、48年前。
 
 双方で当事者が他界してしまった状況の中で、当時の様子が窺い知れるのは、凄いことだ。
 
 証明できる事実からは、改めて相手の身勝手さが浮き彫りになる。
 
 最初からまともなことなんて、何もやっていない。
 
 その姿勢は、世代交代した今のT氏にも確実に継承されている。

 登記登録なんて、自分のためにやること。
 
 相手は親子で似通った過ちを犯しつつ、その重大さに気づいていない。
 
 はっきり言って、土地貸しの資格がない。
 
 世間からそう判断されてしまう話なのだ。
 
 今までの証言だけでも輪郭は見えたが、不可能の証明によって、真実がより近付いた。
 
 とりあえず、今回はここまでにしよう。
 
 この件を掘り下げると、もっともっと、なので。
 
 

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