裏側
災害で家を失うと、その場所に住めなくなるかもしれない。
前の記事で、そう書いた。
筆者も、ブログを書き始めた頃は知らなかったのだが。
現行法では、家さえあれば、いつまでも借地上に住めるわけではない。
どうやら、物理的限界があるらしい。
物理的限界とは、普通に住んで、自然と老朽化していった終わりのことだ。
どの家も、確実に人が住めない状態になる。
普通の一戸建てなら、60年から80年。
その、物理的限界を迎えてから、が問題で。
災害のような不可抗力でも、借地に新しく家を建てることは、まず認められない。
契約の期間が延びることを、たいていの貸主が嫌うからだ。
法律上はそういう規定があるわけではない。
理性的に考えて、という判断だと思われる。
筆者も、この点は不合理ではないと考える。
建て替えや、建て増しをしてまで住み続けるのは、貸主にとって迷惑。
契約者本人が亡くなっていれば、なおさら。
このブログでさんざん書いてきたように。
借主が契約を履行する限り、貸主はほぼ何も口出しすることができない。
だが、物理的限界からの対応に関しては、唯一、借主が主張を通すことができる。
そしてまた、貸主の主張が通ってしまう。
これは、災害時でも当てはまる理屈で。
現状だと、庭で車中泊とか、仮設の小屋での寝泊まりくらいしか、道はない。
土地を返すことを前提での一時的な生活については、拒否できないだけ。
借主は、次の住まいが定まり次第、速やかに立ち退きしなければならない。
引き続き住むことを望めば、貸主の同意を得る必要がある。
大変な時だから、と同情してくれればいいが、ほとんど期待はできない。
イニシアチブは、貸主にある。
賃貸借関係の強い立場、弱い立場がもろに顕現化した形。
今の法律が、地主や大家に偏ったものと言える、象徴的なシーンだ。
この流れは、旧法ができた大正時代以前から変わらない。
日本では、物理的限界を口実にして、一般人が立ち退きを要求できる。
列島のどこかで火事や災害が起こるたび。
テレビが映さない裏側で、もう一つの涙が流れているかもしれない。
その想像力が、とても大事だと思う。